2006.06.29
東京タワーを読んで。

『東京タワー』を読んだ。
正式には『東京タワー オカンとボクと、時々オトン』がタイトル。
著者はリリー・フランキー。
本名は中川雅也、1963年福岡県北九州市生まれ。
正式ペンネームはリリー・フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドというそうで、あのRELAX♪のアーティスト名と、大学時代に友人から呼ばれていた百合(リリー)を合体させたそうだ。
彼の詳しい略歴はHPを観ていただくとして、実は僕は彼に何度も会っている。
勿論、面識はないが、昨年まで会社が代官山にあったとき行きつけの居酒屋で何度か遭遇していた。
だからというわけでもないが、例の穴澤賢が面白いと薦めてくれたので、借りて読んでみた。
ほぼ自信の実話であり、亡くなった母へのレクイエムは、書いているあいだ一度ものってきたことがなかった、とご本人も何かのインタビューで語っている。
使い古されたいい回しをすれば、すべからく世の男はマザコンであり、これは著者の大いなるマザコン・カミングアウト小説でもある。
ここまで、お母さんが大好き、お母さんがいなくちゃ生きて行けない、ってことを真摯に切々と書かれるとかえって痛快でもある。
だからこそ、この小説は世の男性達の支持を受け、口コミで160万部以上のベスト・セラーになったのかもしれない。
さらに、読んだ読者側の個人的なお母さん像や、家族形成などが物語とリンクした場合は限りなく泣ける小説でもある。借してくれた穴澤もボロ泣きしたという。
現にこの小説は電車の中で読んではいけない、という口コミで広がっていったそうだ。
息子がお母さんを思うのは、幼児期の子育ての中心が特殊なケースを除いてほぼ母親である以上、仕方のないことだと思う。幼いときに風邪で発熱して寝こんだときに氷嚢を乗せてくれるのは母親だし、玉子粥を作ってくれたり、みかんを剥いてくれるのも母親だ。
そんなとき、当然父親は外で仕事しているわけだから。
例えばだが、男が成人して色気づいたとき、風邪で寝こんだときの看病は母ではなく恋人に入れ替わるだろう。そのとき、恋人のつくる愛に満ちた粥が美味ければ、そこで母離れ。
その恋人と身体の関係もあればなおのこと。
だが残念ながら、母の味を超えてなければ永遠に母親が恋人&母のまま君臨するのかもしれない。
雑駁にいうと、母離れのタイミングなんぞそんなものでしょう。
逆にファザコンの男の話を聞かないのは、自分が大人になったとき父親は同性として人生のいわば最初のライバルと化してしまうからだ。ところが、母親は永遠に異性でもありこちらがどんなにオヤジになっても孫のことを気遣ってくれたり、好物の品を送ってくれたりと永遠に世話を焼いてくれる存在だ。
そして、リリー・フランキーもいっているが、世の女性達がマザコン男を嘲笑するのは、相手の母へのライバル心の表れではないだろうか?
僕は残念ながら、世評ほどボロ泣きはしなかったが、リリー・フランキーの文体が偉才を放っていて興味深かった。
マザコン男にファザコン女。
いずれにしても、家族愛の断片的な一つの形でしかない。
何でもいいんじゃない?
所詮、世の中、男と女しかいないのだから。
東京タワー

※お約束ですが、一つ!
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