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2007.10.05

加齢による、味覚の変化?

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僕がガキだった頃は、肉が大好きだった。
我が家のすき焼きと称する、豚すきなぞ、白菜とかネギなんぞ除けて肉ばかり突いて親父に「肉ばっかり食うな」と、大目玉をくらったほどである。
まあ、親父も肉を食いたかったのであろう……。

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上京して独りで暮らし、二十歳になり酒を飲みはじめた。(真面目でしょ?)
それから、魚や野菜の煮付けといった、家庭的な味を好むようになる。
親から離れて、初めて知るお袋の味のありがたさか?
お酒が好きだから、自然に相性の良い食べ物に走ったということだろう。
この時点では、加齢による味覚の変化だとは思えない。

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ところが、いつごろからだろう。
それほど好きでもなかったかんぴょう巻きが、大好きになった。
鮨屋では、〆は必ずかんぴょう巻きを所望するほどに。
そしてそれは手巻きではなく、まきすで巻いたかんぴょう巻きでなければならない。
鮨屋の上等な海苔で、酢飯がまきすでカチッと巻かれたものが良い。
口に放り込み、海苔の抵抗を突きやぶり、圧縮された酢飯を噛み砕いたあたりで、あの柔らかでジューシーな甘辛いかんぴょうが、香るように主張してくるのがたまらない。
手巻きなんざ、女子供が嬉しがるもの。
海苔に乗せただけのふにゃけた酢飯に、添え物のようにかんぴょうを配し、手渡されても嬉しくもなんともないってもんだ。
手巻き鮨は、家庭でわいわい楽しむものであり、職人があんなものを供してはならない。

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かんぴょう(干瓢)とは、ウリ科ユウガオの果実(ふくべとよばれる)をひも状に剥いて乾燥させた食品。ヒルガオ科のユウガオ(=ヨルガオ)とは同名異物だそうな。
何度か自分でかんぴょうを仕込んでいるが、鮨屋のような甘辛い感じにならない。
どうも、さっぱりあっさり味になってしまう。
それはそれで、かんぴょうだけで酒の肴にはなるのだが……。

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以前は巻ものといえば、新香巻きやカッパ巻きまでは許していたが、かんぴょう巻きは理解の外だった。とりあえず口に入れても、いっこうに美味いと思えなかった。いまじゃ考えられないぐらいだ。
これが、加齢による味覚の変化なのだろうか?

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歳を重ねながら生を歩む中、“馴れ”というものがたびたび障壁となることは多い。
これで、大丈夫。
もう安心……。
しかし、この馴れが思いがけない落とし穴となる。
だから、道をわたるとき左右を確認するように、常に注意は怠れない。
間違っていないか?
これでいいのか?
ならば、こういうのはどうだ?
そうして馴れに安住しない、適度な波乱を期待するのもまた人の性。

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毎日すきやき食ってりゃ、やがては飽きる。
味覚の変化も加齢によるものではなく、味覚の馴れへの飽くなき反撥だと思いたい。

が、安住を得るにも、波乱を受け入れるも、時は経過する。
なにをやっても、時が過ぎ、生を刻々と潰していく。
ものを食う行為も、間違いなく時の経過の上に成り立っている。
10年前苦手だったものが、今日美味しい……。

ん?
やはり加齢なのか??

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●最近、読んだ本。

中国乱世の時代。
戦において死と向き合い、その居場所を探し続けた男達がいた!

水滸伝(12(炳乎の章))


三国志(5の巻)

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三国志(6の巻)


三国志(7の巻)



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